Eternal light の blog

エターナルライトのブログ 〜 のびのび幸せに

あたらしい自立、あふれる好き

私がはじめて会社勤めをしたとき、とんでもない失敗をしたことがあります。
とある代理店に、すでに支払い済みの広告代を振り込みました。
○百万円(笑)(←いや、笑えない)

本社がうまいことおさめてくれたみたいだったんですが、ほんと、あれはなんだったんだろう。
なんでか、あんまり怒られることもなく、罰もあたえられなかったし、やめさせられもしなかったしなぁ。
恥ずかしかった覚えはありますが、その後も一応お勤め行ってたんだから、いうほどダメージを受けてなかったのかも、自分。

仕事の流れとかわからなかったし、誰かに何かを教えていただくということも思いつかなかった。
とりあえず、真面目に丁寧にはがんばってて、人当たりだけはよかった。

でも、自分は根本的に、社会で労働に従事するのはむいてない・・・ と、うっすら感じた出来事でした。

うっすら・・・ってw。そんなもんなのか、それでいいんか、って感じですが。

あんまり、そのこと認めちゃうと、働きに出られなくなるから、自覚しないようにしてたのかもしれません。
有能だって、自分のこと思いたい年頃だったし。
そのわりに、外に働きに出るのが全然好きじゃなかったんですけど(笑)

そんなこともあってかどうか、その後も私は続けて3年以上おなじ職場にいたためしがないです。
契約期間満了だったときもあったけど、たいていは自分からやめてました。

全ての勤務期間を合計しても、うーん、たぶん、あんまり長くない。
いい大人な年齢ですが、同じくらいの人よりかなり少ないんじゃないかな。

何十年も同じ職場にいて、つとめあげた人のお話とか聞くと、ほんと、自分には出来ないな、って感じます。

そんな自分は、社会的には「ダメ人間だなぁ」と思ってます。
「自分で労働して対価を得る」ということに関して、とことん、自信はありません。

そういう自分に劣等感を感じて、離婚したあとなんかは資格のための勉強とかもしました。
勉強の内容はとても楽しくて、学ぶことが癒しになってたんです。
でも、結局その資格をつかって就職することはありませんでした。

なんで、自立できないんだろう??
どうして、収入を得るために働くことが出来ないんだろう??
って、自分をたくさん責めました。

でも、たぶん、責めようが責めまいが、あんまり関係なかったんじゃないかなって思います、振り返ると。
たいていの時、私はいろんな人やものや環境やタイミングに支えていただいて、食べるものに困ったこともなく、住む場所がないって泣いたこともなかったです。

内心どきどきひやひやしてたり、自分はダメで恥ずかしい人間だって落ちこんでたり、差し伸べられた手を振り払っちゃうことはあったけど。

それでも、いつも美味しいなーってご飯食べられたし、洋服だって好きに着てたし、猫たちも側にいて幸せなことたくさんだった。

・・・えーっと、あれ? なにを言おうとしてたのかな?

まぁ、そんな感じでダメ人間な私ですが今日も生きてます。

そんな私が「好きだから、やりたいんだもーん」と思うことを、「わかったわかった。じゃあ、口ださないから、好きにやりな」って言ってくれる人に囲まれながら暮らしてます。
(あなたたちは仏か。とにかくありがたい)

これまでのフツウで考えたら、まぁ「自立してる」とは口が裂けても言えない。

でも、自分のなかにあふれる「好き」は、ちゃんと認めてて、それを好きであることは責任をもって受け入れてるんじゃないかなって思うのです。

「私はこういうのが好き」って知ってる。
その好きなものに対して、好きって想いを注ぐことはおしまない。
この好きが、これからどうなってゆくかな、って未来を描きつづける。
のらりくらりとだけど、その好きで自分が立ち上がったり、歩き出せたりしてきたこと覚えてる。
自分のなかに、新しい好きが生まれたら、素直に喜ぶ。
また、好きたちと一緒に、日々をつづってゆく。

・・・そんなのも、「自立」してるって、言えなくもないんじゃないかなって思うんですけど、どうだろう。

自分を愛し潤してゆけるってことだし、それによって毎日の幸せを感じながら生きてゆけてる・・・ ってことだから。

ダメかなぁ(笑)

ともあれ、今はこういうふうに生きたい。
なので、そんなカンジで過ごしていこうと思います^^

・・・というオハナシでした☆

 

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(シンプル伊勢うどん♪ ほわほわの食感^^)