Eternal light

エターナルライトのブログ | のびのび幸せに

たくさんの癒しとか、見えるもの・見えないもの

こんばんは。
またも夜更かしなんですが^^;

先週行った日帰り伊勢の写真とか振り返りながら、感じたことなどつらつらと。

ちょっと曇り空のもと、今回は内宮からお参りしました。

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川の手前にて。

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宇治橋の上からの五十鈴川。

あ、正宮のお写真撮ってない・・・


正宮に参拝したとき、目をとじて感じていたら、ハートに明かりが灯るような、胸のなかをお日様が照らしているような気がしました。
じんわり、とてもあったかくて、とっても輝いてて。

これは、お日様のヒーリングなのかなぁ?
何か、あたたかく癒されていくような感じだなぁ、と思いました。

一斉ワークも開催中だったこともあって、なんだかありがたくて。
嬉しかったです^^


そうして、天照さまをお参りすると、お空も明るくなって、晴れ間が出てきましたよ。

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こちらは、荒祭宮。


ちなみに、内宮には、にわとりさんがいたり、お池に鯉さんがいたり、川にはサギさんがいたりして、そういうのも楽しいのです。

今回は、リアル鹿さんには会えなかったけど、またの機会に会えたらいいなぁ。


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お昼は、てこね寿司の豪華版。
美味しかった~


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外宮のお池。
天気よくなりました。気持ち良い。

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この日は、祭主の黒田清子さんが来られてて、参拝のタイミングに、ちょうど居合わせました。
(その場では、そういうこと何も知らなくて、後から色々教わったのですけど)

公の場に身を置く方というのは、立ち居振る舞いが美しいですね。
所作の美しさに出会うと、なんというか、ちょっと感動します。

あぁ、私もそうでありたいなぁ、というか。
潔くて、すがすがしい美しさって、素敵だなぁ。


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別宮の多賀宮に行く途中の階段。
階段って好きでつい写真撮ってしまいます。

このとき、階段の先に写っているのがお宮だと思ってて、参拝する気まんまんだったんですけど、違いました、ホース格納庫でした、ホースにお祈りするところでした。


このそばには、あと2つ、別宮があります。
土宮と、風宮。

おぉ、今、まさに、土の時代から風の時代に変わるらしいので(占星術のお話)なんか、この2つが並んでいるところに来たのって面白いなぁ、とか思ったりしました。


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正宮を横からパチリ。

外宮は、とても穏やかで、心地よくて、本当によいです。
とくに、正宮の内側のきれいな石のお庭が好き。

前にも書いたかもしれませんが、あそこで遊びたくなるんです。
そして、おうちのなかでは美味しいお米の炊けるにおいがしたりして、庭をながめながらおにぎりをほおばりたい。

ここには、家族とか、お家のイメージがあって、なんだか懐かしくなります。


あとですね。
これは帰ってきてから、ぼんやりしてるときに思ったのですが。

伊勢の内宮と外宮って、見えないものと見えるもの、精神的なものと物質的なもの・・・なのですね。

どちらも、大切。
どちらも、ともにあるね。

そういうところなのかな、お伊勢さんって。
なんか、今のタイミングに、あらためてそのことを「そうだよね~」って感じたくて、行ってきたのかもしれないなぁと思ったのでした。


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帰りの近鉄特急から見た夕焼けがとてもきれいでした。
写真はぴんぼけですけども。

(でも雰囲気は良いなぁと思ったので載せちゃう^^)


けっこうたくさん歩いて、とても疲れたのですが、とても気持ちよく、穏やかにまわることが出来て、幸せな一日でした。


そしてそして、帰ってきて翌日だかそこらの日に。
母と話しているとき、私の名前の話になりました。

「京子」というのは母がつけてくれたのですが、「みやびやかな子になるように」という願いをこめたんだよ、という話は聞いていたのです。

なんとも素敵で、嬉しいなぁ、と思っていましたが、さらにもうひとつ意味があったそうで。

音の「きょう」を「今日」とかけて、「今日という日をせいいっぱい生きるように」という願いもこめたんだよ、と。

この話は、初めて聞いたので(それか、聞いててもすっかり忘れていたので)とても新鮮でした。

そして、母の意図したことと合致してるかどうかはわかりませんが、確かに自分では、「今日を生きてる」という感じの日々だなと思いました。

あんまり、昨日とか明日のことを気にせず、今日のことだけ考えてる感じ。
こんな風でも、今、生きていられてる。

それは、私の幸せを心から願ってくれた人が居てくれたおかげなんだなぁ、としみじみ感じました。


このこと以外にも、ふとしたときに、自分は愛されてるんだなぁ、とたくさん感じました。
私自身の深い癒しも、ゆるゆる続いているみたいです^^


そんな日々でした。

ながながとしたお話におつきあいくださいまして、ありがとうございます☆
ではまた。