夢のご報告&普通の日常の
こんばんは☆
お礼が遅くなりました。
ライトワーク「琥珀の夢の解放」どうもありがとうございました。
くるん、と、まるまった赤ちゃんが、ふわーっと新しい世界に向かってとびたってゆくみたいな、そんな感じのワークの様子でした。
新しい世界で、世界を信頼して、まっすぐに歩いてゆけるといいね。
心を寄せてくださった方、お祈りの宣言をしてくださった方、ご一緒してくださってとても嬉しかったです。
こちらのライトワーク、やさしくて地球も喜んでくれるみたいですね、って言ってもらえたりしてます。
そうだといいなぁ^^
また、お誘いさせていただきますね☆
それと、今、おみやげワーク「海からのメッセージ」をお渡ししてます。
気になる方いらしたら、ぜひ受け取ってみてください ♪
>> おみやげワーク「海からのメッセージ」
普通のこととか、日常のことって、それが当たり前なときには気づいてないけど、実は奇跡みたいなことだったりするんですよね。
そんなことを、あらためて思ったりします。
10代20代のころは、結婚したり、子供が生まれたりすることって、とくに何もしないでも自然とそうなるものだと思ってました。
というか、そう思っていることさえ、気づいてなかったくらい。
私は以前の結婚を29歳のときにしたのですが、子供は何年たってもさずかりませんでした。
最初の数年はのんきにしてましたが、そのうちに「そうか、なかなか子供ができない、ということもありえるんだ」ってわかって、とてもあせったりしました。
母親と、「結婚したら子供が生まれるのがあたりまえだと思ってたけど、そうじゃないんだね」って、はなしあったりしたなぁ。
ながいつきあいの友人で、なかなか結婚のご縁に巡り合わない娘と、「普通に過ごしてたら、いつのまにか結婚してるもんだと思ってたけど、必ずしもそうじゃない場合もあるのね」なんて話をしたこともあった。
(その娘も今は結婚10年目だったりしますが^^)
離婚をすることになった時も、私自身は「結婚したら、ずっとその人と一緒にいるものだ」とどこかでふんわり思っていたんですよね。
でも、そうじゃない場合もあるんだ、ってわかって、悲しいやら、びっくりするやら。
もちろん、それらのことが、意識しないでも自然に「日常」になっていく人もいる。
そういう場合もある。
でも、そういう日常を送らない人もいる。
そうじゃない場合もある。
そして、そうじゃない日々を送る人にとっての、違う日常もちゃんとある。
「日常であること」とか、「普通であること」って、誰にでも共通して同じではないんだな。
誰かの日常と、別の誰かの日常は、違っていても不思議じゃない。
それぞれの人に、それぞれの日常がある。
あたりまえの毎日が、それぞれの人ごとにある。それが、あたりまえなんだな。
そんなことを、思います。
これまでの日々のなかで、何度もくりかえし、あらためて腑に落ちてゆくような感じで、あぁそうなんだよなぁ、と思うんですよね。
どちらが、いい、とか、だめだ、とかはなくて。
ほんとに、その人それぞれ。
それがどんどん腑に落ちていくと、「じゃあ、今の自分にとっての嬉しい日常でありたいな」って、なってくる。
そうやって、少しづつ、喜びに向かってゆけるようになってきたんだなと思います。
でも、思ってたのと違った、とかの悲しみや衝撃とかは、やっぱり隣にあったんですよね。
例えば、「子供がいないからこそ、自分に集中できた」って考え方にも出会いました。
確かにそうかも。でも、私は、その考え方では、深いどこかが癒されなかった。
だから、ずっと、自分自身に対して、「そうだね、悲しいね」って、言ってきたような気がします。
人間としての願いと、魂の願いが、違うこともあるっていう、そういう考え方もあるし、どこかでその通りだと思うんだけど。
やっぱり、私は、まだ、自分の気持ちを、ただただ「そうだね」って、言ってもらいたいんだと思います。
誰かに、そう言ってもらえれば心がやわらかくなるし、嬉しい。
そして、たぶん、自分で自分を、ちゃんと抱きしめてあげるとか、いいこいいこって、してあげたい。
自分のこと、いつの時も、ちゃんと慈しんであげたい。
そんなことを、このところ、ずっと、感じてきてたような気がします。
今の環境や、取り巻く人々や、なんてことのない日々のルーティンも、「これは特別なこと」と感じないで過ごせるって、とても幸せなことなのですよね。
日常を、普通のこと、として日々過ごせるって、素晴らしいな。
やさしかったり、あったかかったりする、私の今いる世界。
大好きだし、大事にしたいです。
私の日常のひとこま。かわいいなぁ~^^
↓
(あったかハウスから極力出ないよ)
長いつぶやきでした。
ありがとうございます^^
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